『エクストラテレストリアル』(2021年)は、人類が初めて観測した恒星間天体「オウムアムア」を徹底検証した一冊。この謎に満ちた物体は、異星文明のテクノロジーの断片かもしれない――そんな挑発的な仮説を展開する。
新発見を大胆に読み解く
2017年秋、世界は驚くべき発表に震撼した。ハワイのハレアカラ観測所で、太陽系内を通過する奇妙な天体が検出されたのだ。その種の観測は史上初のことで、天体は「オウムアムア」と名付けられた。はたして、この奇妙な物体の正体とは?
確かな答えはまだないが、名門ハーバード大学の天文学教授アヴィ・ローブにはひとつの仮説がある。オウムアムアは地球外テクノロジーの一部だ、というのだ。ローブの長年の経験と鋭く想像力豊かな科学的視点をもとに、オウムアムアが太陽系を観測するために送り込まれた人工探査機である可能性を、物議を醸しながらも丁寧に論じていく。その過程で、この物体がなぜここまで異様なのか、そしてその訪問が宇宙の理解に何を投げかけるのかが明らかになる。本要約で学べるのは、次のようなポイントだ。
- 「オウムアムア」という言葉の意味
- なぜ理論物理学ばかりが脚光を浴びるのか
- 人類を銀河規模で広げる可能性
オウムアムアは太陽系の外から来た異例の訪問者
2017年10月19日。天文学者ロバート・ウェリクは、ハワイ・マウイ島の山頂に設置された望遠鏡ネットワーク「パンスターズ」の観測データを精査していた。すると、奇妙な点に気づく。パンスターズが、太陽から時速約58,900マイルで遠ざかる天体を捉えていたのだ。
その猛スピードでは、間もなく太陽系を永遠に離れることになる。それ以上に興味深いのは軌道だ。その経路から判断すると、この天体は太陽系の外からやってきたと思われた。ウェリクは驚愕する。彼は今、人類が初めて検出した恒星間天体を偶然見つけたのだ。ここでのポイント:オウムアムアは太陽系外から飛来した、きわめて異例の存在である。
ウェリクがこの発見を国際天文学連合に報告すると、その天体は「オウムアムア」と命名された。ハワイ語で「遠くから最初に届いた使者」、あるいは端的に「斥候(スカウト)」を意味する。まさにふさわしい名前だ。オウムアムアは、天文学的に見て「すぐ近く」と言える範囲で、太陽系に起源を持たない初めての天体なのだ。では、地元の天体でないなら、どこから来たのか。正確にはわかっていない。ただ、こと座のベガの方角から飛来したことは判明している。ベガは約25光年離れた恒星だ。
さらに、太陽系に双曲線軌道で進入したことも明らかになった。つまり、小惑星や彗星のように太陽を周回するのではなく、宇宙の遠方からやってきて一度太陽のそばを通り、再び宇宙の彼方へ飛び去っていくのだ。オウムアムアが検出される以前、天文学者は太陽系内の天体と、遠方の恒星や惑星を観測していた。しかし、太陽系近傍を通過する恒星間天体を目にしたことは一度もなかった。もちろん、可能性は認識されていた。人類自身、ボイジャー、パイオニア、ニューホライズンズといった探査機を、すでに五つも恒星間空間へ送り出しているのだから。
この初発見以来、パンスターズではすでに複数の恒星間天体が太陽のそばを通過するのを確認している。とはいえ、オウムアムアはいまなお突出している。単に最初に見つかったからだけではない。実際、科学者たちを悩ませる特異な性質や変わった特徴が数多く備わっている。その詳細は次の章で見ていこう。
オウムアムアは既知のどの天体とも異なる姿と振る舞いを見せる
あなたが探偵になったとして、ある謎の物体について可能な限り調べる任務を負ったとする。しかし、ひとつ問題がある。その物体を直接調べることはできない。
鮮明な画像どころか、物体自体すでに太陽系を永遠に去っている。これこそ、オウムアムアを研究する天文学者たちが直面している難題だ。初めて観測されたとき、オウムアムアはすでに高速で遠ざかっていた。科学界が、その距離を増す謎についてデータを集められたのは、わずか11日間だけだった。それでも、集まったデータは答えよりも多くの疑問を投げかけた。ここでのポイント:オウムアムアは、既知のいかなる天体とも異なる見た目と動きを示す。
発見当初、ほとんどの科学者は、オウムアムアを太陽系外起源の彗星か小惑星のようなものだと想定した。そうした天体は銀河系にありふれており、その外観や挙動もよく知られている。ところが興味深いことに、オウムアムアはそれらの既知のカテゴリーにきちんとは当てはまらないのだ。まず、形状を見てみよう。物体の表面で反射する光を丹念に観測すれば、どんな天体でもおおよその寸法を正しく推定できる。オウムアムアの場合、太陽の反射光の明るさが8時間ごとに約10倍も変化していた。
これは、長細いか、あるいは平たい形状であることを示している。長さは数百メートル、厚みはわずか数メートルほどの可能性がある。小惑星や彗星はもっと丸く、こんな極端な寸法比には到底及ばない。さらに注目すべきは、太陽系を去る際の異常な軌道だ。重力や他の力を計算に入れれば、天体物理学者は物体の飛行経路を正確に予測することに長けている。しかし、太陽を通過した後、オウムアムアはその予測から外れ、何か別の力で押されたかのように加速しながら去っていったのである。
こうした挙動はときに彗星で見られることがある。彗星が熱せられて水や他の粒子が蒸発し、加速を生む――これが「ガス放出」と呼ばれ、彗星の尾の正体だ。ところがオウムアムアからは、その痕跡はまるで観測されなかった。3機の専用赤外線衛星が連携して観測しても、ガス放出の証拠はまったく見つかっていない。となると、こうした奇妙な逸脱を前に、我々は既存の分類体系に無理やり当てはめようとすべきなのか。それとも、より大胆な可能性を探るべきなのか。
オウムアムアは異星人のテクノロジーという現実的可能性
オウムアムアが太陽系を訪れる17か月前、天体物理学者アヴィ・ローブはイスラエルの田舎にあるヤギ牧場で黙々と作業に没頭していた。といっても家畜の世話ではない。彼が仕上げにかかっていたのは、とてつもなく野心的な提案「スターショット計画」である。
この計画は、人類が約4光年彼方の恒星系アルファ・ケンタウリへ探査機を送る現実的な方法を描き出す。その探査機の動力は「ライトセイル(光帆)」――地球の帆船が風を受けるように、光の力を利用する理論上の技術だ。当時、ライトセイルが実際に機能しているところを誰も見たことはなかった。しかしローブは、オウムアムアについて知るうちに、この謎の物体こそ本物のライトセイルではないかと疑い始める。ここでのポイント:オウムアムアが異星人のテクノロジーである可能性は十分に現実的だ。 2018年までに、科学界の見解は一致していた。オウムアムアは確かに非常に奇妙な天体である、と。
その常識外れの寸法比、驚異的な輝度、予想外の飛行経路のすべてが、既知の宇宙現象のどれにも当てはまらないことを示していた。だが、正体についての合意はなかった。そこでローブは、博士研究員シュムエル・ビアリとともに一つの提案を行う。オウムアムアはライトセイルかもしれない、と。観測データをもとに、彼らはこの天体が巨大な表面積とわずか数ミリメートルという極薄さを持ちうることを示した。その比率はまさにライトセイルにふさわしい。さらに、しっかりした計算によって、そうした形状なら特異な加速も説明できると論じた。ローブとビアリは、その研究成果を権威ある学術誌『アストロフィジカル・ジャーナル・レターズ』に発表した。
論文の主張はこうだ。オウムアムアの解釈として、提示された証拠と完全に矛盾しない。そして、その奇妙な異常について自然現象で説明できる可能性を科学は排除できないにせよ、オウムアムアが人工的に設計されたテクノロジーであるという非常に現実的な可能性も無視すべきではない、と。この論文は大騒動を巻き起こした。当然ながら、大衆メディアはこの話に飛びつき、あらゆる報道機関がローブに異星人説について取材を求めた。ところが、科学界の反応は冷ややかだった。
嘲笑する向きも多く、国際宇宙科学研究所は反論を公表し、ローブの主張を根拠のないものと断じた。しかし、たとえわずかでもオウムアムアが人工物である可能性が残されているなら、その考えを真剣に検討すべきではないか。この問いは次章で深める。
科学者は不合理なまでに地球外生命の可能性を拒む
ここまでで、オウムアムアが極めて異様な天体であることは明らかだ。ところが「速度‐位置」という観点から見ると、さらに異様さが増す。銀河系のあらゆる天体は動いている。速度‐位置とは、他のすべての天体と比較した運動の状態だ。
速度‐位置が速いものもあれば遅いものもある。驚くべきことに、オウムアムアの速度‐位置はほぼ平均値だった。これは「局所静止基準」と呼ばれる状態にあり、銀河規模で見ると、ほぼ止まっているに等しいのだ。この極めてまれな性質をどう説明すればいいのか。オウムアムアは航路を示すブイなのか。銀河通信網の中継ノードだろうか。それとも、想像もつかない異星人の用途が?
知るすべはないが、こうした奇抜な可能性を真剣に考えることこそが重要だ。ここでのポイント:科学者は不合理なまでに、地球外知的生命が存在する可能性に反対している。 大多数の科学者にとって、太陽系外の知的生命体の可能性を探ることは軽薄な行為と映る。宇宙人活動の痕跡を本気で探して、自らの評判やキャリアを危険にさらす研究者はごくわずかだ。この研究に取り組む著名な組織SETIでさえ、同分野の科学者から嘲笑され、軽視されることが多い。だが、なぜなのか。
科学界が思弁的なアイデアにいつも消極的かといえば、そうでもない。物理学の流行理論である超対称性や余剰次元、ひも理論などはいずれも、実験的裏付けがまったくないにもかかわらず人気を博している。それらと比べれば、地球外生命の可能性など、はるかに地に足がついている。地球の存在そのものが、生命は発生しうるという強力な証拠ではないか。こうした偏見にはさまざまな理由があるが、大きな障壁のひとつは文化的なものだ。大衆メディアで宇宙人が氾濫しているせいで、地球外探査がまるでSFの余興のように見られてしまう。
若い科学者は、理論物理学のような分野で研究費や終身在職権、学問的名声を追うほうが賢明だと考え、実際にその通りだ。この分野はCERNのような資金豊富で注目度の高いプロジェクトのおかげで人気の絶頂にある。一方で、他の問題は無視されている。だが、もし異星生命の探査が当然の重みをもって扱われたらどうなるか想像してみてほしい。
最優の頭脳が、どこへ導こうともオウムアムアのような現象を徹底的に探求するよう奨励されたなら、どんな進歩が可能か。天文学の偉大な発見の多く、地動説から水素でできた太陽の組成に至るまで、閉鎖的な思考によって無視され、抑圧されてきた。我々はこれからも、その過ちを繰り返さないよう努めなければならない。
オウムアムアは探査機か、それとも異星人の宇宙ゴミか
よく晴れた夜空を見上げてみよう。無数の星が大気を通して瞬いている。驚くべきことに、このきらめく光景は銀河系のごく一部にすぎず、銀河には何十億もの星が存在する。その彼方の他の銀河には、さらに何十億もの星がある。
宇宙は広大であり、時間の深さも計り知れない。最近の推定では、宇宙の年齢は130億年以上だ。この規模を考えれば、どこかで、いつか、他の生命が誕生していないと考えるほうがむしろ不自然だ。ならば、物理学者エンリコ・フェルミが有名な「フェルミのパラドックス」で問うたように、これほど生命のチャンスがあるのに、皆はどこにいるのか? ひょっとすると、オウムアムアを人工物と考えることで、この謎に光が当たるかもしれない。ここでのポイント:オウムアムアは探査機か、あるいは単なる異星人の宇宙ゴミかもしれない。
仮にオウムアムアが本当に異星人のテクノロジーだとしてみよう。我々がそれを発見したという事実は、二つのシナリオのどちらかを示唆する。一つは、我々の太陽系にわざわざ送り込まれた。それは光栄だが、ありそうにない。もう一つは、作り手がよほど大量の物体を宇宙にばらまいていたため、偶然行き当たる確率が高かったというものだ。人工物と無作為に出くわす可能性は、よほどありふれていなければ極めて低い。今回の遭遇をありうるものにするには、銀河の恒星ひとつにつき約1000兆個(1の後ろに0が15個)もの物体が必要になる。
もちろん、これだけの数を意図的に打ち上げるには途方もない努力がいる。だが、もうひとつの選択肢がある。オウムアムアは宇宙ゴミだった、というものだ。我々自身の文明を観察すれば、知的生命が大量の廃棄物を生み出すことがわかる。現在、人類は年間約20億トンのゴミを出している。そのほとんどは地球にとどまるが、一部は宇宙にも達する。
現在、1万3000個以上の人工物が地球を周回しており、なかには衛星もあるが、大半はスクラップやデブリだ。この惨状は、ごく小規模な宇宙計画でほんの数十年のうちに生み出された。はるかに古い文明や大規模な文明が、同様の習慣をはるかに壮大なスケールで持っていたと想像するのはたやすい。もしそうなら、地球の海が大量のゴミを集めているのと同じように、宇宙が宇宙ゴミでびっしり満たされていてもおかしくない。もちろん、我々自身の汚染が、宇宙を真に探検する機会を得る前に文明を終わらせるかもしれない。
他の文明も似た運命をたどった可能性は高い。もしそうなら、我々は彼らをまだ見つけられるだろうか。この問いは次章で考える。
過去と現在、あらゆる生命の痕跡を宇宙に探るべき
今から30億~40億年前。地球上では、タンパク質や炭水化物の渦巻くスープが混ざり合い、複雑な構造へと組み上がり始める。やがて、これらの生体分子は代謝を獲得し、自己複製を開始した。こうして、生命が誕生した。
私たちは地球外生命を探すとき、このおなじみの物語を出発点にする。地球と似た条件の惑星、すなわち似たサイズ、温度、似た恒星を回る惑星を探すのだ。悪い考えではない。なにしろ、私たちは地球上の生命を理解しており、その知識を他の場所にも応用できる。だが、他の可能性にもっと開かれるべきではないだろうか。
ここでのポイント:過去と現在を問わず、あらゆる生命の痕跡を宇宙に探るべきだ。 現在の地球外生命探しは、生物学的な生命の痕跡を地球型の系外惑星に調べることが中心だ。この手法の問題は、視野が狭すぎることにある。地球‐太陽のような惑星系は、ありうる組み合わせのごく一部にすぎない。さらに、活発な生物相の痕跡を探しても、たまたま私たちが観測しているまさにその時に存在する生命しか見つからない。宇宙の年齢を考えれば、時間が一致する可能性はきわめて低い。
より効果的なアプローチは、別の生命の兆候も探すことだ。それには、すでに消滅した文明も含め、文明が残した可能性のある広範な証拠を対象にすべきだ。この天文学の新分野を「天体考古学」と呼ぼう。地球上の考古学者が化石や遺跡、その他の残骸から過去の文明を明らかにするように、テクノロジーや化学信号、活動の物的証拠を探って宇宙を調査するのである。たとえば、天体考古学者は系外惑星の大気に人工的にしか生成されない化学信号を探せる。フロン類のような工業的分子が豊富な惑星は、異星文明の確かな存在を示すはずだ。
あるいは、ダイソン球のような大規模構造物の痕跡を探すこともできる。この仮想的な建築物は、恒星の周りに膨大な数のソーラーパネルを並べたものだ。エネルギーを利用しようとする文明にとっては明白な解決策であり、発見も比較的容易だろう。地球外知性の探査範囲を広げるには、新たなプログラムや装置に、より多くの時間と資金を振り向ける必要がある。これは賭けだが、見返りは大きい。オウムアムアの賭けと思えばいい。
たしかに、異星生命の可能性を真剣に受け止めるには投資が要る。だが、潜在的な利益は計り知れない。そうした発見は、宇宙への理解、互いとの関わり方、地球上の営みにどのような変化をもたらすか。視点の転換は、文明の歩みそのものを変えうるのだ。
オウムアムアは人類の無限の可能性に目覚めさせる
さあ、ついにその時が来た。人類はついに、知的地球外生命の決定的で疑いようのない証拠を検出した。SETIが受信した無線通信かもしれないし、また別の恒星間天体が太陽系を漂っているのかもしれない。
いずれにせよ、世界中のニュースになる。こうしたシナリオで、私たちは適切に対応する準備ができているだろうか。たぶん、できていないかもしれない。オウムアムアの賭けを考えてみてほしい。もしオウムアムアをただの岩だと決めつけて通常通り過ごしていたなら、完全に不意を突かれる。逆に、異星生命の人工物かもしれないと捉えて準備を進めていれば、即座に行動できただろう。
おそらく、異星人との接触対応手順が整備され、迎撃用の衛星も配備されていたかもしれない。要するに、未来に立ち向かう備えがより整っていたはずだ。ここでのポイント:オウムアムアは、人類に無限の可能性を目覚めさせるべき存在だ。 オウムアムアはすでに太陽系を永遠に去った。追いつくことも、これ以上のデータを集めることもできない。それでも、この異様な物体は宇宙と私たち自身について、すでに大切な教訓を教えてくれている。
この訪問者が異星起源かもしれないと認めるならば、それは他の文明が驚くべき技術を成し遂げていることを示している。そして、人類が協調し協力するすべを学べば、同様の高みに到達できるかもしれないのだ。現在、スターショット計画のようなプロジェクトに資源を振り向ければ、オウムアムアに似た特性を持つ探査機を建造できる。地球上の強力なレーザーで加速すれば、これらの探査機を光速に近い速度にできる。さらに、他にも想像を絶する技術が射程内にある。たとえば、ショスタック研究所では合成生物学的生命を作る技術の研究が進んでいる。
資金が増えれば、そのプロセスを完成に近づけられるだろう。こうした技術を然るべき野心と組み合わせれば、人類はずっと明るい未来を手にできる。地球がいつまでも居住可能とは限らず、宇宙には探検すべき場所が無尽蔵に広がっている。その気になれば、ライトセイル探査機にDNAを複製する機械を搭載し、行く先々にまき散らすこともできる。その探査機の艦隊を送り出すことで、人類は宇宙全体に生命の種を蒔き、真に銀河規模の文明へと飛躍できるのだ。こうした壮大な計画は、空想的に聞こえるかもしれない。
だが、忍耐と献身、そして想像力さえあれば、完全に実現可能だ。こう考えてほしい。2016年、世界各地の研究施設が連携して計器を組み合わせ、地球サイズの干渉計ネットワークを構築した。彼らは5200万光年先に照準を定め、実在するブラックホールの史上初の画像を捉えることに成功した。これは、人類に何が可能かのほんの一例にすぎない。必要なのは、心を開いて挑戦することだけだ。
まとめ
この要約の要点: 2017年春、科学者たちは人類初の恒星間天体を検出し、オウムアムアと名付けた。この天体は、自然現象とは矛盾する多くの特異な性質を示した。異様な形状、ずば抜けた輝度、予想外の動き――オウムアムアは人工的に作られたライトセイルであり、知的生命の残した遺物である可能性がある。
この可能性を真剣に受け止めることで、研究の新たな道が開かれ、人類をより大きな未来へと備えさせてくれるだろう。





