1937年に初版が刊行された『主に従う』は、イエス・キリストの教えに真に従うために求められる根本的な献身について考察した書です。「安価な恵み」と「コストのかかる恵み」という概念を探求し、真の弟子道には大きな個人的犠牲が伴うという主張を展開します。
核心となるアイデア:困難な弟子道
今回取り上げるテーマは、真の弟子道が突きつける当惑させる挑戦です。この要約は、本物のクリスチャンとしての弟子道に求められる高い代価を、私たちが本当に支払う覚悟があるのかを問いかけ、「コストのかかる恵み」という厳しい現実を私たちに突きつけます。
快適な道を選ぶこと
『主に従う』は、イエス・キリストの教えに従うことの本当の意味——個人としても、共同体としても——を深く探求した書です。キリスト教の教えを単なる知的な信仰としてではなく、人生を変える決定的な献身として捉えています。
本書はまず、「安価な恵み」と「コストのかかる恵み」を明確に区別することから始まります。安価な恵みとは、献身や葛藤をほとんど必要とせず、簡単に得られる恵みのことです。これは表面的な恵みであり、個人的な変化や犠牲を求めずに、慰めと赦しだけを与えます。
これまでに楽な道を選んだものの、後になって、労力は少なかったけれども、より困難な選択肢が与えてくれたはずの達成感や満足感が得られなかったと気づいたことはありませんか?それなら、あなたは安価な恵みを経験したことがあるのかもしれません。
一方で、コストのかかる恵みとは、努力を注ぎ、キリストの教えを体現し、弟子道の代価を受け入れることです。この考え方は日常生活にも容易に当てはまります。不快感を与えるかもしれない厳しい真実を伝えるか、平和を保つために黙っているか、どちらかを選ばなければならない場面を考えてみてください。安価な恵みという楽な道は、何も言わないことです。一方、コストのかかる恵みの道は、たとえ緊張や衝突を生んででも、誠実さへの決意から真実を語ることです。
さらに本書は、山上の垂訓と、その教えを実践することの重要性について掘り下げます。敵を愛すること、義を行うこと、必要とする人に与えることなどです。これらの教えと行動は、高尚な理想としてではなく、日常生活における実践的な側面として描かれています。
本書によれば、原罪とは、人間が神から独立して善悪を判断する能力があると信じることです。この傾向は高慢を生み、神の戒めに従うことを頑なに拒否し、自分自身の掟に従って生きようとする態度につながります。その結果、人間は自らの裁判官となり、自らを神とするのです。
さらに本書は、キリストの生きた体としての教会の重要性を強調しています。教会は、空虚な儀式や伝統に従うだけでなく、信仰を真摯に生きる人々から構成されます。本書は共同体への召命を強調し、キリストの教えを実践することは孤独な営みではないと指摘します。真の弟子であるためには、信者の共同体の中で、そしてその一員として生きるべきなのです。
本書はさらに、キリスト教の倫理的意味合いを探求します。特に、不正、欺瞞、抑圧に対して行動するよう個人に呼びかける点です。これはボーンヘッファー自身がナチス統治下で取った立場でもあります。さらに本書は、「世俗的」な生活と「宗教的」な生活という概念についても考察し、人生のあらゆる領域に信仰を統合することを強調します。読者に対して、自らの信仰と献身の深さを吟味するよう挑み、コストのかかる、意味ある弟子道の道へと促します。
『主に従う』は、挑戦であると同時に招きでもあります。イエス・キリストの教えを深く理解し、自らの人生を神の命令に委ね、信仰を生き抜くよう読者に呼びかけます。弟子道の代価を支払うとき、私たちは神の恵みの中に宿る喜び、平和、そしてより深い理解の人生へと到達するのだと、本書は強調しています。
最終的なまとめ
『主に従う』は、意味ある弟子道へ向かう力強い勧告であり、キリストの教えの核心に根ざした信仰を生きるよう個人に呼びかけます。弟子道の道のりは困難、犠牲、さらには苦しみに満ちているかもしれません。しかしその報いは、キリストの道に忠実に従うことで見出せる、深い平和と充足感なのだと、本書は強調しています。





