「感情は論理の敵」は大間違い。脳科学が示す、人間らしさの正体

『エモーショナル・イグノランス』(2023年)は、私たちがなぜ感情を持つのか、そして感情が人生においてどのような役割を果たすのかを探求する一冊です。神経科学の視点から書かれており、一見不合理に思える感情的反応の背後にある進化上の理由を検証し、こうした強力な感情が私たちの行動や意思決定をどのように形作っているのかを考察します。

この本の要点:感情が私たちを形作る仕組みを理解する

神経科学者ディーン・バーネットが感情の科学について書こうと決めたとき、彼は冷静な学術的距離感をもってこのテーマに取り組んでいました。しかし、2020年初頭に新型コロナウイルスのパンデミックが広がるにつれ、彼はプロフェッショナルとパーソナルな世界の予期せぬ衝突に直面します。彼の父親がこのウイルスで亡くなり、彼は深い悲しみの中に投げ込まれたのです。感情について執筆する最中に、彼はそれらを最も生々しく、圧倒的な形で体験することを余儀なくされました。

本書は、私たちの腸内のニューロンから愛と悲しみの複雑さまで、親子の絆の進化的ルーツからロックダウン下での感情処理の難しさまでを探求します。私たちの生物学的システムが、人間であることの豊かで複雑な経験をどのように生み出しているのか、その深い理解をもたらしてくれるでしょう。それでは始めましょう。

単なる気分ではない

感情は、最も深い人間関係から日々の一瞬のやり取りに至るまで、人間の経験のあらゆる側面を形作っています。しかし、その重要性にもかかわらず、科学者たちはいまだに感情とは何かを正確に定義することに苦労しています。わかっているのは、感情は私たちの肉体に深く根ざしているということです。おそらく、多くの人が思っている以上に。消化器系を例にとってみましょう。そこには非常に洗練されたニューロンの広大なネットワークが存在し、科学者たちはそれを「第二の脳」と呼ぶことがあります。

この神経ネットワークは、迷走神経と呼ばれる経路を通じて、私たちの実際の脳と絶えず通信しています。不安が胃のむずむず感として現れるのも、コンフォートフードが心を落ち着けてくれるのも、不思議ではないでしょう。こうした日常的な経験は、腸と脳が絶えず対話しているという、より深い真実を反映しています。しかし、感情が痕跡を残すのは腸だけではありません。1970年代、心理学者ポール・エクマンは、表情として現れる感情について研究しました。

当時、多くの科学者は、感情表現は言語と同様に文化から学習されると考えていました。しかしエクマンは驚くべき発見をしました。外部との接触がほとんどないパプアニューギニアの遠隔地の部族を含む、大きく異なる文化圏の人々が、幸福、悲しみ、怒り、恐怖、嫌悪、驚きといった感情に対する同じ基本的な表情を、すべて同じように表出し、認識していたのです。これは、特定の基本的な感情が、手に5本の指があるのと同じくらい根源的に、私たちの脳に組み込まれている可能性を示唆していました。しかし近年、心理学者リサ・フェルドマン・バレットは、感情について異なる理論を提唱しています。バレットは、私たちの脳は、基本的な感覚データ、記憶、身体信号など、さまざまな情報源からリアルタイムで感情を構築していると主張します。これは、私たちの脳が視覚世界を構築する方法に少し似ています。

私たちの目は3色しか検出できませんが、脳は私たちにはるかに豊かな視覚体験を作り出します。この構築プロセスは、同じものに対して常に同じ感情的反応を示すとは限らない理由を説明するのに役立ちます。文脈が重要だということです。恋人の顔は、交際中は喜びをもたらすかもしれませんが、別れた後は苦痛をもたらすかもしれません。バレットは、脳は文脈と必要性に基づいて、類似した原材料から異なる感情体験を創造し、再創造していると示唆しています。

エクマンとバレットの研究は、感情についての対照的な2つの見方を示しています。エクマンは、私たちが生まれつき備わった基本的な感情のセット、つまりプリインストールされた感情ツールキットを持って生まれてくると示唆します。一方バレットは、私たちの脳は毎回ゼロから感情を構築していると主張します。それはまるで、シェフが特定の状況に合わせた独自の料理を作るために食材を組み合わせるかのようです。しかし、どちらの場合でも明らかなのは、感情は単に頭の中にあるだけではないということです。感情は、身体的状態と精神的状態の間の複雑なダンスから生まれる、全身的な経験なのです。

脳が心を必要とする理由

感情を電灯のスイッチのようにオフにして、冷静で合理的な思考だけを残すことができたらと想像してみてください。これは魅力的なアイデアであり、SFにおけるよくある比喩です。スタートレックのヴァルカン人を考えてみましょう。純粋な論理を選び、感情を拒否する異星人種族です。そこに込められたメッセージは明確です。感情は弱点であり、ないほうがましな原始的な遺物である、と。

しかし、現代の神経科学は異なる物語を語ります。感情は合理的思考から分離されているどころか、私たちの思考、決定、行動の方法と深く絡み合っています。視床下部を、私たちの行動を駆動する信号を脳全体に送る中央指令センターと考えてみてください。私たちは感情と合理的思考が制御をめぐって競い合っていると想像しがちですが、実際には、複雑な地形を進む熟練した2人のパイロットのように、それらは連携して働いています。視床下部は、最も原始的な衝動から最も壮大な野心まで、すべてを統括しています。私たちの生存が危険にさらされているとき、つまり喉が渇いているときでも、危険に直面しているときでも、それは即座に反応を引き起こします。

しかし、この同じ脳領域は、私たち人間特有の成果をも可能にしています。交響曲を作曲するにせよ、スタートアップを立ち上げるにせよ、成功には感情的な駆動力という炎と、合理的分析という確かな手腕の両方が必要です。「否定的な」感情でさえ、重要な役割を果たします。不安や懸念を感じているとき、これらの感情はスポットライトのように作用し、私たちの焦点を狭め、細部への注意力を高めます。

ですから、ミスター・スポックには申し訳ありませんが、純粋で無感情な論理という夢は、所詮夢に過ぎません。著者が説明するように、合理的思考から感情を取り除こうとするのは、レンガ造りの家からモルタルを削り取るようなもので、構造そのものを破壊してしまいます。感情は欠陥どころか、思考と行動を可能にする基盤の一部なのです。

感情の記憶バンク

感情的な出来事は、予期せぬ形で私たちの記憶を変容させることがあります。著者は父親を新型コロナウイルスで亡くしたとき、以前は楽しかった記憶が苦痛なものに変わっていることに気づきました。かつては陽気なクリスマスプレゼントだった鮮やかな色のシャツが、今では悲しみを誘発するようになりました。そして、かつては慰めの源だった父親のお気に入りのアフターシェーブの香りは、耐え難いものになりました。

これらの経験は、感情と記憶がどのように絡み合っているかを示しています。こうした瞬間は、記憶が経験によって形作られる様子を浮き彫りにします。私たちの脳の記憶中枢である海馬は、感覚入力と内的状態という2つのものを織り交ぜて記憶を作り出します。言い換えれば、何が起きたか、そして私たちがどう感じたか、ということです。あらゆる瞬間のあらゆる細部を記録することは、最高の記憶力でさえすぐに圧倒してしまうでしょう。ですから脳は、最も重要な経験、つまり感情的に重要なものを優先します。これを効率的に行うために、脳はすべての経験に対してまったく新しい記憶を作り出すわけではありません。

その代わりに、既存の記憶とその構成要素を再利用します。私たちは配偶者の容姿についてのコアな記憶を持っており、その記憶が配偶者に関するすべての経験に結びついています。このアプローチは神経資源を節約し、記憶が互いにつながり、積み重なることを可能にします。この相互接続性はまた、記憶形成が瞬間的ではないことも意味します。仕事で社会的な失敗をしたときのように、重要なことを経験したとき、その完全な感情的影響は後になるまで感じないことがよくあります。記憶の固定はゆっくりと起こり、こうした遅延した感情反応を記憶が完全に「定着」する前に組み込むことができます。

悲嘆もほぼ同じように働きます。愛する人を失うと、その死の悲しみは、布地に染み込むシミのように、その人に関するすべての記憶に浸透し得ます。著者の父親が贈ったカラフルなシャツの例を考えてみましょう。シャツそのものが突然別の衣服になったわけではなく、それに関連する記憶が悲嘆によって変容したのです。幸いなことに、私たちの脳は、否定的な感情が永遠に記憶を支配するのを防ぐメカニズムを進化させてきました。心理学者が「感情フェーディング効果(fading affect bias)」と呼ぶものです。否定的な感情は通常、その瞬間にはより強力ですが、肯定的な感情よりも早く記憶から薄れていきます。何かについて怒っていたことは覚えていても、それを思い出してももはや怒りを感じないかもしれません。

一方、幸せな記憶は、喜びを呼び起こす力をはるかに長く保持します。いくつかの研究は、このバイアスがうつ病を経験している人々には見られないことを示しており、否定的な記憶がうつ病性障害においてこれほど持続する理由を説明するのに役立ちます。感情フェーディング効果は、私たちの精神的幸福を維持するのに役立つ進化的特性であるように思われます。私たちが悲しみの後に前進し、喜びをもたらすものを保持しながら進むことを可能にしてくれるのです。

感情が私たちをつなぐ方法

悲嘆は私たちの期待を裏切ります。私たちは絶え間ない悲しみの流れを予想するかもしれませんが、現実はより複雑です。それは波のようにやってきます。無感覚の期間が激しい感情の爆発によって中断され、どこからともなく湧き上がる怒りの瞬間、さらには普通に感じる期間さえあります。そしてその普通の感覚自体が、罪悪感という重荷をもたらすこともあるのです。この感情的な複雑さは、私たちの脳がどれほど深く社会的であるかを理解すれば、それほど謎ではなくなります。

最も基本的なレベルでは、私たちの脳は他者から学び、他者とつながるために進化してきました。誰かがロープを結ぶのを見るといった単純な行動でさえ、理解の複雑なプロセスを伴います。視覚情報は、動きを解読し、その目的と結果を予測し、模倣の準備を整える脳領域へと伝わります。この同じ神経ネットワークは、私たちが感情を認識し共有するのを助け、心と心の架け橋を作り出します。それは言語そのものよりも古い架け橋です。この同じ神経システムは、感情の認識だけでなく感情の表現も支えています。前述のとおり、人間は汗、涙、声の調子、姿勢、表情といった信号に非常に敏感です。

これらの手がかりは、誰かが感情を隠そうとしても感知されます。子供は、笑顔の裏に隠された親の悲しみを見抜くことができます。配偶者は、言葉にされないパートナーの不安を感じ取ることができます。こうした感情的なつながりの力は、専門的な文脈でしばしば起こるように、私たちがそれらを抑圧せざるを得ないときに特に顕著になります。多くの職場は、私たちの実際の気持ちにかかわらず、心地よい態度を維持することを期待します。上司のジョークに笑い、敵対的な顧客に直面しても冷静さを保ち、不可能な締め切りにもかかわらず自信を示すこと。この絶え間ない感情の抑圧は代償を伴います。自然な感情的反応を押し殺すと、その影響は私生活に波及し、睡眠パターンを乱し、人間関係に負担をかけ、うつ病にさえ寄与します。

それは川をせき止めようとするようなものです。圧力は障壁の背後で高まり、新しい経路を見つけ、最終的にはそれを封じ込めるはずの構造そのものを弱体化させます。この感情共有のメカニズムは、孤立がなぜこれほどつらく感じられるのかを説明します。私たちの脳は、共同体の中で感情を処理するように進化してきました。喜びや悲しみを、それを反射してくれる他者と共有するために。新型コロナのパンデミックの間に多くの人が経験したように、この自然なプロセスから切り離されると、私たちは感情処理の本質的な部分へのアクセスを失います。つながりへのこの生物学的欲求は深く根ざしており、他者への反応の仕方や、自分の感情を理解する方法を形作っています。それは、人間関係を定義する多くの養育本能の土台となります。次に探求するのはその点です。

私たちが互いを大切にする理由

毎週の家族での食事の最中、著者の父親は彼の方を向き、熱のこもったスピーチを始めました。彼は、パーキンソン病と闘う親族に毎日のサポートを提供するために何ヶ月も費やしており、その経験が彼の目を開かせたのです。何時間もの献身、絶え間ない警戒、感情的な負担。そのすべてが、社会全体によって一貫して見過ごされていると、彼は力説しました。それでも人々はそれを続けています。

わずか3ヶ月後に父親が亡くなった後も、その問いは著者の中に残り続けました。なぜ人間は互いのためにこれほど深い犠牲を払うのでしょうか?その答えは、私たちの脳が感情的な絆を処理する方法に関する根本的な何かを示しています。親が初めて新生児を抱くときに何が起こるかを考えてみましょう。ある父親が語ったように、医師が新生児を彼に手渡した瞬間、長年にわたって注意深く維持してきた感情のコントロールが打ち砕かれました。喜び、恐怖、愛、不安といった競合する感情の奔流が、通常の感情調節能力を圧倒します。

しかし、これは生物学の働きです。ホルモンのオキシトシンが親と赤ちゃんの両方のシステムにあふれ、文字通り脳を愛着のために再配線します。親子の絆のためのこの生物学的基盤は、すべての人間の感情的なつながりのための進化のテンプレートとして機能しました。友人、恋愛パートナー、コミュニティのメンバーへの愛着を形成するためにまったく新しいシステムを開発するのではなく、進化は既存の親子の絆のメカニズムを修正しました。この効率性は、人間が直接の家族をはるかに超えて深い感情的なつながりを形成できる「超社会的」種になるのに役立ちました。これらの愛着システムの力は、驚くべき形で現れます。

耐え難いほどかわいいものをぎゅっとつかんだり、つねったりしたいという一般的な衝動について考えてみましょう。科学者が「キュート・アグレッション(かわいいものへの攻撃衝動)」と呼ぶ現象です。この一見奇妙な反応は、何かかわいいものを見ることが非常に強烈な肯定的感情反応を引き起こし、養育本能と保護本能の両方を同時に活性化するために起こります。私たちの脳は、これらの競合する信号を処理しようとして圧倒されるのです。これは私たちを養育の話に戻します。

子供、高齢の親族、その他助けを必要とする人々の世話をするとき、私たちは、つながりを通じて人間の生存を確実にするために進化した古代の感情回路を利用しています。これを理解しても、その仕事の大変さが軽減されるわけではありませんが、人間が外部からの報酬がほとんどないにもかかわらず、他者のために深い犠牲を払い続ける理由を説明するのに役立ちます。最初に親子の間で築かれたこれらの感情的な絆は、私たちの存在そのものの中心となっています。

デジタル時代の感情

新型コロナウイルスで父親を亡くした後、著者は予期せぬジレンマに直面しました。父親の葬儀をFacebookで配信する方法です。通常は猫の写真や気楽な近況報告に使われるプラットフォームが、人生で最も困難な瞬間の一つを共有する媒体として機能しなければなりませんでした。この並置は深く違和感がありましたが、ロックダウン中はやむを得ませんでした。父親の何百人もの友人や同僚が、別れを告げる何らかの方法を必要としていたのです。この経験は、真の感情的プレゼンスを必要とする瞬間におけるデジタルコミュニケーションの限界を浮き彫りにしています。

ビデオ通話やテキストベースのプラットフォームは、対面でのやり取りの微妙で多感覚的な手がかりを見逃します。姿勢のわずかな変化、微表情、ボディランゲージ、さらにはフェロモンや物理的な近接の心を落ち着かせる効果さえも。それにもかかわらず、これらのプラットフォームは、今日の人々が感情を表現し処理する方法の中心となっています。この感情の技術的媒介は、特に情報が広がり信念が定着する方法において、広範囲にわたる結果をもたらします。パンデミックの間、著者はオンラインで、新型コロナウイルスは現実ではない、あるいは危険ではないと主張する人々に遭遇しました。彼の目には、それは父親の死の現実を否定するものでした。こうした出会いは、確証バイアスから矛盾する証拠の積極的な拒絶まで、脳がどのように複数の心理的メカニズムを通じて既存の信念を保護するかを明らかにします。情報がオンラインコミュニティ内で感情的な共鳴を引き起こすと、事実の正確さにかかわらず広がることがよくあります。

著者の科学的背景は当初、解決策は感情を情報処理から分離すること、つまりすべてに純粋な論理と理性でアプローチすることだと示唆していました。しかし、自分自身の悲嘆を処理しながら感情を研究することで、深い気づきがもたらされました。感情は人間のプログラミングにおける欠陥ではなく、排除すべきものではなく、人間の思考、学習、意思決定の方法の基本的な構成要素なのです。純粋な合理性への欲求でさえ、それ自体が感情によって駆動されています。感情は私たちを迷わせることがありますが、人間の経験にとって不可欠なものであり続けます。

最終的なまとめ

ディーン・バーネット著『エモーショナル・イグノランス』の中心的な要点は、感情は人間の思考と行動の基本的な構成要素であり、世界を解釈し意思決定を行う方法を形作るということです。感情は記憶を形作り、意思決定を導き、社会的絆を支え、養育行動を駆動します。感情は私たちの生物学に埋め込まれており、情報を処理し、他者とつながり、人生の要求に応える方法において絶えず活動しています。感情の役割を認識することは、心がどのように機能するか、そして私たちがその中でどのように生きるかを理解することへと私たちを近づけてくれます。

これにて本書の解説は終了です。お読みいただきありがとうございました。ぜひ評価をお寄せください。フィードバックをいつも感謝しています。次回の解説でまたお会いしましょう。

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