アリババ(2016年)は、ジャック・マーと彼のオンラインビジネス「アリババ」が世界的な小売りの頂点へと驚異的な成長を遂げる軌跡を描く。元英語教師というささやかなスタートから、ジャック・マーは時代をはるかに先取りした先見性のある起業家だった。誰もが電子メールに戸惑っていた時代にインターネットの可能性を見抜き、次々と問題に直面しても、決して「他より優れよう」という情熱を失わなかった男の物語だ。
本書の見どころ:中国の電子商取引を変えた男の物語
今日の中国は、世界最大級の経済大国であり、最も急速に発展する都市を抱えるだけでなく、高速インターネットやWi-Fiが至る所に普及したテクノロジー先進国でもある。しかし、ほんの数十年前までは、状況はまったく異なっていた。
そこに現れたのがジャック・マーだ。驚くほど革新的な発想で、やがて世界で最も価値のある企業のひとつとなるEコマース・プラットフォーム「アリババ」を創業した。この要約では、中国の消費文化の流れをたどり、ジャックが地味な英語教師から中国消費社会の帝王へとのぼりつめる道のりと、彼のEコマース帝国がこれほどまでに成功した秘密を明らかにしていく。たとえば次のようなことがわかる。
- アリババがウェブカメラや無料のおもちゃを活用して、カスタマーサービスで他社を一歩リードする方法
- 職場に無料の自転車や美しい人工湖を提供する代わりに、ジャック・マーが社員に求めるもの
- 中国のインターネット・ファイアウォールがアリババにとって天の恵みだった理由
オンラインショッピングの台頭とともに、中国人の消費習慣は変わりつつある
アメリカで売られている商品の多くに「Made in China」のラベルが付いているように、中国は小売製造大国として知られている。同時に、強力な共産党政権の国としても認識されている。しかし今、経済が着実に消費主義へと舵を切るなか、中国には新たな潮流が生まれている。伝統的に中国人は、それほど消費に積極的な国民ではなかった。
今でも家計消費が経済に占める割合は3分の1にすぎない。一方アメリカでは、個人消費が経済の3分の2を占めている。とはいえ中国にも変化の波は訪れており、11月11日の「独身の日」はその好例だ。恋人たちの日をもじった独身者たちの祝日は、中国の小売業者にとって極めて重要な日となった。2009年には27店舗だけがこのセールに参加していたが、わずか6年後の2015年には4万の小売業者と3万のブランドがこの祭典に加わった。参加企業のひとつが、オンライン商取引を専門とする中国企業アリババだ。
特筆すべきは、2015年の独身の日には、開始わずか10分でアリババを通じて10億ドルの買い物が行われたことだ。アリババは、消費主義を受け入れつつある中国で急成長を遂げたオンライン商取引の最前線に立ってきた。しかし、これほどまでに成功するとは、ほとんど誰も予測できなかった。アリババはしばしば、アメリカの人気ショッピングサイト「アマゾン」と比較される。アマゾンが「何でも揃う店」と呼ばれるのと同じように、中国の顧客はアリババの数ある人気子会社サイトのひとつ「淘宝(タオバオ)」では何でも買えると言う。
だが、中国経済に与えた影響は、アメリカにおけるアマゾンの地位をはるかに凌駕している。実際、2016年時点でアマゾンはアメリカで12番目に人気の小売業者だが、アリババは中国で堂々の1位だ。あまりにも巨大な商業的存在となったため、2014年に株式を公開した際には、史上最大の新規株式公開(IPO)を実現している。
アリババ成功の秘密は基本サービスの無料提供と優れたカスタマーサービスにあり
アリババは中国の小売市場を席巻した。しかし、他のオンライン小売業者と何が違うのか、当然疑問に思うだろう。アリババが大きな競争力を得たのは、自社サイトを利用する業者に基本的なサービスを無料で提供したことにある。基本的に、中小企業や業者がオンライン店舗としてアリババの「淘宝」を使うのに費用は一切かからない。実際、900万以上の事業者がまさにそうしている。
しかし、商品をサイト上で目立つように表示したい場合は、広告費用を支払うことで特別な露出を得ることができる。これがアリババの基本的な収益モデルであり、その仕組みはグーグルのアドワーズ広告に似ている。結局のところ、業者は広告がクリックされた回数や商品ページが訪問された回数に応じた料金を支払うことになる。そのため、少ない広告予算の中小企業にとっては非常に費用対効果が高いのだ。しかし、それだけではない。優れたカスタマーサービスも提供している。サイトは「小二(シャオアール)」と呼ばれるグループによって監視されている。これは中国語で「給仕」を意味する言葉だ。
小二の役割は、顧客と出品者の間で生じたあらゆるトラブルの仲裁役を務めることだ。日常的な監視も行い、サイトの行動規範に従わない業者のプロフィールは削除される。淘宝の人気は、双方向性の高いショッピング体験も一因だ。サイトには高度なチャット機能があり、顧客と業者はウェブカメラを使ってリアルタイムに商品価格の交渉ができる。淘宝での競争は本当に激しいため、業者は売上を伸ばすためにあらゆる努力を惜しまない。無料サンプルを提供したり、発送するすべての荷物に小さなおもちゃを同梱したりする――これはアマゾンではまず見られない習慣だ。このような優れたサービスは、偶然にできるものではない。
ジャック・マーは社員を大切にしながら、「顧客第一」の経営理念を推進する
アリババの場合、あらゆる顧客に素晴らしい体験を提供することは、創業者ジャック・マーが絶対に実現しようと決意したことだった。そのためにジャックは、全社員が「顧客第一、社員第二、株主第三」という企業理念を暗記するように徹底した。ジャックはアリババの小口顧客を「シュリンプ(小エビ)」と呼ぶが、これは蔑称ではない。ジャックは自身の「シュリンプ」たちを愛しており、彼らに他では得られないような露出を与えるために尽力している。
それはつまり、基本サービスを無料で提供し続けるための努力を常に惜しまないということだ。顧客への愛情とは対照的に、株主とは時に緊張関係にある。株主からは短期的な利益を求めるプレッシャーが絶えないからだ。2009年にアリババの株価が下落した時のように、どんな時でもジャックは、顧客や中小企業へのコミットメントを損なう可能性のある妥協を拒否し続けた。ジャック・マーは社員にも強い責任感を持っており、彼のリーダーシップはモチベーションを高め忠誠心を維持することに重点を置いている。その結果、多くの社員が長年にわたって働き続け、他へ移るつもりはないという。
アリババの社員は、自分たち専用のキャンパスがあるという恩恵も受けている。ジャックはそれを、社員への当然の贈り物だと考えている。26万平米の敷地に、ジム、コーヒーショップ、オーガニック食材の屋台、巨大な人工湖、そして場内移動用の無料自転車まで完備され、社員が大切にされていると感じる理由は十分だ。このキャンパスは社員の福利厚生を犠牲にしてつくられたわけではない。車や家の購入資金が必要な社員には、最大5万ドルの無利子ローンも用意されている。ジャック・マーが見返りとして期待するのは、アリババの成功を支えるために長時間をいとわず働く、献身的で忠誠心の高い社員だ。
中国において、ジャック・マーは多くの物流的課題を克服したインターネットの先駆者だった
ジャック・マーはビジネスの世界に生まれ育ったわけではない。実際、彼のキャリアは英語教師として始まった。ある日の仕事中、ジャックは何十年も教えてきた年上の同僚が、手頃な値段の野菜だけを買って古い自転車で家路につく姿を目にした。それを見た瞬間、ジャックは悟った――もしこの先輩とは違う未来をつかみたいなら、革新的な計画を練り、より良い人生を自ら築かなければならない、と。そうしてすぐに、比較的新しいテクノロジーであるインターネットに目を向けたのだった。
1995年にジャック・マーが初めて設立した会社は「杭州海博網絡諮詢(ハンチョウ・ハイボー・ネットワーク・コンサルティング)」といい、中国で最初期のインターネット企業のひとつだった。ジャックの会社は、ウェブ上での存在感を求める他の中国企業向けに、連絡先情報を掲載したホームページや簡単なウェブサイトを制作した。インターネットにアクセスできる人なら誰でも顧客になり得たため、ジャックはアメリカにおける中国企業の認知度を高めたいと考えた。そこでビジネスパートナーの何一兵(ホー・イービン)とともに、アメリカのインターネットドメイン「chinapages.com」を購入した。とはいえ、時代を先取りしすぎる弊害もあり、90年代半ばの中国ではインターネットにアクセスできる人がまだ非常に少なかったため、企業にオンラインプレゼンスへの投資を説得するのは困難だった。
それでもジャックは友人たちにサービスを利用してもらい、初期の成功例もつくった。杭州の「望湖賓館(レイクビュー・ホテル)」のウェブサイトを制作したところ、アメリカ人旅行者がぞくぞくと現れた。オンラインで見つけられた唯一の中国のホテルだったからだ。それでも課題のほうがはるかに多かった。インターネット接続は不安定で、つながるのと同じくらい頻繁に途切れた。あまりに接続がおぼつかないため、ジャックは顧客にウェブサイトの印刷物を見せなければならないことさえあり、それを詐欺の兆候と受け取る人もいた。当時ウェブサービスの費用は2,400ドルしたから、その疑いも理解でき、ジャックはそれを克服するために懸命に働かねばならなかった。
ジャック・マーはサンフランシスコでビジネスに完璧な名前を見つけ、最初からビジョンは明確だった
インターネットに精通した企業が中国にわずかしかなかったため、ジャック・マーはアメリカとシリコンバレーに着想を求めた。そして、カリフォルニアへのある旅の途中で、後に自身と深く結びつくことになる名前と偶然出会う。1999年までに、ジャックは次の大きなアイデアであるオンライン小売店を立ち上げる準備をほぼ整えていた。構想とチームは揃っていたが、良い名前がなかったのだ。
そんなある日サンフランシスコを訪れていた時、レストランでふと『アラビアン・ナイト』の民話が頭に浮かんだ。その中のひとつ「アリババと40人の盗賊」では、主人公が秘密の合言葉「開けゴマ」を使って宝の洞窟に入る。ウェイトレスがテーブルに来た時、ジャックは彼女にアリババの話を知っているか尋ねた。彼女は知っており、しかも秘密の合言葉「開けゴマ」まで覚えていた。その日一日、会う人会う人にアリババを知っているか聞いてみると、驚くことに全員が知っていた。ジャックは、これこそ正しい名前を見つけた証拠だと思った。
ところが一つ問題があった。Alibaba.comというドメイン名はすでにカナダの人物が所有しており、彼はそれを4千ドルで売りたいと言う。当時オンライン送金のセキュリティはあまり高くなく、その人物が悪意を持てば金を持ち逃げすることも簡単だった。しかしジャックは、このカナダ人は正直者だという直感を持ち、取引を決行した。幸運にもその勘は当たり、取引はスムーズに進み、すぐにドメインを手に入れた。
すべての準備が整い、ジャック・マーは1999年2月にアリババを立ち上げ、最初から明確なビジョンを持っていたことを証明した。アリババはシリコンバレーのどの企業とも互角に渡り合える国際的な競合として構想されたが、同時にそれが中小企業のために設計されたサービスであることも明らかだった。ジャック・マーが小口顧客を「シュリンプ(小エビ)」と呼ぶのは映画『フォレスト・ガンプ』への言及で、主人公がつつましいエビ漁ビジネスで成功を収めることにちなんでいる。
アリババは1999年、米国の投資家との幸運なつながりを通じて待望の資金を獲得した
1987年、中国から送信された最初の電子メールは、秒速わずか300ビットという非常に遅い速度でドイツのカールスルーエへ届いた。だがテクノロジーは急速に進歩し、わずか10年後には世界経済を一変させるまでになっていた。投資家たちはこの波に乗ろうと列をなした。90年代後半、米国の投資家は特にアジアのテクノロジー企業に関心を寄せていた。ジャック・マーは、自らが思い描くグローバルな競合へとアリババを成長させるには、こうした大口投資家が必要だとわかっていた。
ジャックは、中国の投資会社がいかにインターネットベースのビジネスに興味を持たないかを痛いほど知っていた。幸運なことに、ゴールドマン・サックスにシャーリー・リンという、中国のインターネット企業への投資に積極的な社員がいた。ただし少し厄介な問題もあった。文化的な違いから、シャーリーは中国のビジネスマンに正当な投資家としてなかなか受け入れられなかったのだ。実際、あまりに混乱した相手の中には、彼女が「ミスター・ゴールドマンの奥さんか」と尋ねてくる者さえいた。
アリババとシャーリーの縁は実は1989年にさかのぼる。マーのビジネスパートナー、ジョー・ツァイがニューヨーク行きの飛行機で彼女と初めて出会ったのだ。当時ジョーはまだイェール大学の学生だったが、その後の何年も彼女の連絡先を保管していた。1999年、シャーリーの連絡先は金に等しかった。運のいいことに、ジョーが電話をかけた時、シャーリーはまさにアリババのような投資先を探していた。ほどなくして彼女は杭州を訪れ、アリババのチームに紹介された。当時のアリババの本社は、実はジョーの小さなアパートだった。
男たちでひしめき合ったその場所は、間違いなくむさ苦しいものだったが、シャーリーは誰もが献身的で勤勉なことにより強い印象を受けた。最終的にゴールドマンはやや及び腰だったが、シャーリーが会社と、いくつかの小規模な投資家を説得し、アリババは500万ドルの立ち上げ資金を獲得した。ジャック・マーは幸せだった。しかし次の章で見るように、危機がすぐそこまで迫っていた。
ジャック・マーは2000年のドットコム危機にチャンスを見出したが、アリババにとっては依然厳しい時期だった
ジャック・マーが小売帝国を築くという野心的な計画は、まるでトランプタワーを建てるようなものだった。それは繊細で胸躍る作業であり、いつ崩れ去ってもおかしくない。大切なのは、トランプが崩れた時、それを一旦リセットし再起するチャンスと捉えることだ。ジャック・マーは、2000年にドットコムバブルが崩壊した時、まさにそうした楽観主義を持ち続けなければならなかった。その年の3月、何年にもわたるインターネット新興企業への投資の末、ナスダック市場が暴落したのだ。
多くのシリコンバレー企業がこの過程で消滅したが、ジャック・マーはこの崩壊を歓迎した。中国のインターネット企業の一部も、価値が20%以上下落するなどの大打撃を受けた。ジャックは、アリババの競合の60%が結果的に閉鎖に追い込まれると予測した。すると突然、アリババにとって状況はかなり好転した。調達した資金のごく一部しか使っておらず、市場での競争相手も大幅に減ったのだ。しかし、依然ひとつの問題が残っていた。利益である。
2000年末になっても、アリババはまったく利益を上げていなかった。ユーザー数は50万、銀行には多額の資金があったが、収益は100万ドルに満たなかった。収入を生み出すため、アリババは主にサイト構築サービスに手数料を課していたが、経費はまったく賄えなかった。さらに悪いことに、ジャック・マーはアメリカとヨーロッパでの存在感を拡大するためにかなりの資金をつぎ込んで人員を増やしていた。それでもマーは、ブランドを成長させるには今が好機だとわかっていた。しかし、2001年に会社が支援を必要としていた事実は変わらない。
その結果、マーとパートナーのジョー・ツァイは、経験豊かなスペシャリスト、サヴィオ・クワン(関明生)を新しい最高執行責任者(COO)として招き入れた。クワンに与えられた使命は、アリババを収益力のある健全なビジネスに変えることだった。そして彼はコスト削減と、中国市場内での事業範囲の絞り込みによって、まさにそれを成し遂げた。
アリババは中国文化への理解を武器に、eBayとの競争を制した
2000年代初頭、アリババは依然として小売市場での地位を確保するために苦しい戦いを続けていた。しかし、最大の挑戦者のひとつであるeBayと対峙した後、状況は一変する。2003年、eBayは中国市場を席巻しようと試みたが、彼らはアリババの存在を計算に入れていなかった。eBayの戦略は、自社に似たサービスを提供する中国の既存企業を買収することだった。
実際、買収対象となった企業は中国の消費者間(C2C)ビジネスの90%を掌握しており、買収後は「eBay EachNet(易趣網)」として再出発した。しかし、ジャック・マーは戦う準備ができており、地の利と文化的な優位性をすべて活用した。最初の一手は子会社サイト「淘宝(タオバオ)」の立ち上げで、2003年5月に開始された。淘宝は個人間で売買される商品のオンライン交渉に重点を置き、eBayと同じ顧客層を狙った。立ち上げから4カ月の間、ジャック・マーは淘宝がアリババの所有下にあることを何とか隠し通し、その間に新サービスはeBay EachNetの顧客を急速に奪い取っていった。決定的だったのは、淘宝が、中国人市場に訴求するものを理解していたことだ。eBayのサイトが西洋ユーザー好みの整然として清潔で無機質なデザインだったのに対し、淘宝は活気あるグラフィックと密集した表示で、騒がしいバザールの雰囲気を捉えていた。
結局2004年、eBay EachNetは米国にホストを移転し、中国市場での可能性は実質的に潰えた。「望ましくない」コンテンツを遮断する中国政府のファイアウォールによって、海外ホストのサイトはブロックされなかったとしても、読み込み速度が遅くなることが多かったからだ。EachNetは遅いサービスのために苦しみ、顧客が淘宝の無料で高速、そして楽しいサービスに殺到した。淘宝はアリババにとって最高の成功のひとつであることは疑いない。
淘宝は中国のEコマース事業の主導権をアリババにもたらし、ジャック・マーはついにまともな収益をあげるビジネスを手にした。現在、アリババは18年を超え、いまだ小売業界の強豪であり続けている。しかし、長期を見据える先見家であるジャック・マーは、アリババが102歳まで存続する未来を思い描いている。
まとめ
経験不足とわずかな立ち上げ資金にもかかわらず、ジャック・マーは、中国でメールアカウントを持つ人さえほとんどいなかった時代に、Eコマース帝国をゼロから築き上げた。しかしジャックには、はるかに大切なものがあった。彼は起業家精神にあふれ、自らのビジョンを現実にするために必要な努力を惜しまないという強い意志を持っていたのだ。
実践できるアドバイス:ジャック・マーのように、ひとつのことに甘んじる必要はない。優れた実業家であることに加え、マーは気候変動や環境問題に取り組む慈善活動家でもある。2015年、彼はアディロンダック山地のブランドンパークを購入したが、それは開発業者や汚染からその土地を守り抜くためだった。





