「失われた数十年」を覆した日本企業の復活——伝統と革新を融合するハイブリッド・リーダーシップ

レゾリュート・ジャパン(2024年)は、日本のトップ経営者たちが、伝統的価値観と現代的な俊敏性を融合させることで、数十年に及ぶ停滞を打ち破る様子を描き出す。危機を乗り越え、企業文化を変革し、従業員を受動的な「メンバーシップ」から能動的な「マスタリー」へと導くための、実践的なリーダーシップ戦略を学ぶことができる。

本書から得られるもの——日本企業の復活を支えるハイブリッド・リーダーシップを極める

巨大な船の舵を握っている自分を想像してみてほしい。その船は、まったく方向を変えようとしない。氷山は見えているし、針路を変えなければならないこともわかっているのに、甲板の下の機械は「これまでもずっとこのやり方でやってきた」という何十年もの年月によって錆びつき、動かなくなっている。このもどかしい麻痺こそ、経済学者が「失われた数十年」と呼ぶ時期に日本の大企業が直面した現実だった。1980年代後半、日本は巨大な資産バブルに乗っていた。株価も不動産価格も、荒唐無稽な水準にまで膨れ上がっていた。

1990年代初頭にそのバブルが崩壊すると、銀行危機とデフレが引き起こされ、約20年にわたって続くことになる。1970年代から80年代にかけて日本を経済大国に押し上げた伝説的な効率性は、まったく別のものへと変質していった。リスク回避、低金利によって延命されるゾンビ企業、そして頑ななまでの構造改革への拒否である。日本の企業社会は停滞の代名詞となった。本書では、その錨を断ち切るための設計図を、日本企業の劇的な復活から直接読み解いていく。

「レゾリュート(決然たる)」モデルの仕組みを学ぶことになる。それは、組織のアイデンティティを破壊することなく、過去のサイロ(縦割り構造)を解体する戦略だ。読み終える頃には、「両利きのリーダー」になる方法を理解しているだろう。伝統の安全性と革新のリスクをバランスさせることができるリーダー、レガシーを守りながら未来を積極的に構築できる経営者である。

マニュアルが機能しなくなったとき

1980年代の企業社会へ旅をしてみよう。日本は世界の羨望の的だった。その成功を支えていたのは「セオリーZ」という経営哲学で、コンセンサス、終身雇用への忠誠、入念な計画に基づいていた。アメリカの経営者たちは、その秘密を学ぼうと日本へ足を運んだ。

しかし、物語は変わった。バブルが崩壊し、「失われた数十年」が到来。かつて称賛された剛直さは麻痺へと変わった。経済を築いたシステムが、いまや経済を窒息させていた。この麻痺がどうやって破られたのかを理解するには、会議室から目を離し、自然災害に目を向ける必要がある。2011年3月11日、マグニチュード9.0の地震が東北地方を襲った。

津波、原発事故と続く混乱のなかで、従来の企業マニュアルは危険なものとなった。ここで主役となるのが、日本最大級のコンビニエンスストアチェーン、ローソンである。従来のモデルでは、権限は厳格にトップダウンで流れる。本部が決定し、店長が実行する。しかし、大地震が起きたとき、東京の本部は現場の現実から遠く離れていた。道路は寸断され、電力は止まり、サプライチェーンは粉々になった。

ローソンの成長を支えてきた中央集権的な標準化は、突然、機能することを不可能にした。後にCEOとなる竹増貞信は、その危機の展開を見守っていた。古いルールなら、現場のマネージャーは指示を待つべきだった。しかし、待つことは地域社会を見捨てることを意味した。そこで、驚くべきことが起こった。現場のスタッフは上からの許可を求めるのをやめ、目の前の地域住民に目を向け始めたのだ。

配送トラックが通れないときには、スタッフはバイクに物資を積んで配った。自らの判断でガソリンを運ぶトラックを派遣し、無料の食料を避難所へ直接届けた。6週間以内に、生き残った店舗のほぼ90パーセントが営業を再開した。これは覚醒だった。竹増は、東京から厳格な意思を押し付けることで会社を成長させることはもうできないと気づいた。前線——つまり現場——が、会議室にはない知恵を持っていたのだ。

現代の不確実性を生き抜くには、組織を反転させなければならなかった。リーダーシップが耳を傾ける番だった。この変化は竹増の行動の変化に見て取れる。彼は自ら現場に足を運び、規則遵守のチェックではなく創意工夫を探すために店舗を回った。新しいことに挑戦している店長を見つけると、それを称賛した。そのアイデアを社内掲示板に掲載し、全員にこう知らせた。「ここでは革新が許される」と。

慣習への固執から、決然たる俊敏さへの移行こそ、新しい日本モデルの中核である。安定の時代に機能していたものは、不確実性のなかでは負債となる。ローソンの教訓は明白だ。地面が揺れたとき——文字通りであれ比喩的にであれ——遠くのオフィスで書かれたマニュアルは無意味になる。生き残りは、実際に問題を目にできる人々をエンパワーすることにかかっている。

これが最初の火花だった。しかし、変化の必要性に気づくことと、それを実行することは別物だ。何十年もの年功序列とコンセンサスによって築かれた文化を解体するには、まったく異なるタイプの設計者が必要となる。

サラリーマンの型を打ち破る

古いマニュアルが壊れていると認識するのは良い第一歩だ。しかし、そこからより難しい問いが生じる。新しいマニュアルを書くのは誰か。何十年もの間、CEOの座への道筋はまっすぐで予測可能なものだった。大学を出てすぐに入社し、ある部門——たとえば金属部門か食品部門か——を選び、その一本の梯子を40年間登り続ける。

トップに到達する頃には、通常60代になっているが、あなたは特定のサイロの達人にはなっていても、世の中を極めて狭いレンズで見ている可能性が高い。そして後継者を選ぶ段になると、自然と自分とそっくりな外見と考え方を持つ人物を選ぶものだ。これが、調和が厳しい現実よりも優先されるリーダーシップのエコーチェンバー(共鳴室)を生んだ。この悪循環を断ち切るには、自らの快適ゾーンを壊すことを厭わないリーダーが必要だ。そこで登場するのが、巨大商社である豊田通商の苅部潤である。苅部が舵を取ると、サイロ化した専門知識が負債になりつつあることに気づいた。金属部門でキャリアを全うしたマネージャーは、鉄鋼の販売には長けていても、世界経済の大きな変化にはまるで疎かった。

彼らは、ますますジェネラリストを必要とする世界におけるスペシャリストだった。彼の解決策は伝統主義者たちを困惑させた。サイロを破壊し、マネージャーたちを快適ゾーンから強制的に異動させたのだ。何十年も食品部門にいた人々が、まったく別のセクターへ移された。部門長たちは、専門用語を理解する秘書なしでは機能できないと抗議した。しかし苅部は譲らなかった。企業全体を見渡せる将来のリーダーを育てていたのだ。

しかし、たとえ幅広い視野を持つインサイダーであっても、所詮はインサイダーだ。真の明晰さを得るには、外部の新鮮な目が必要だった。苅部は社外取締役を登用し始めた。形式的なお飾りではなく、積極的に異論を唱える存在として。商社業界とはまったく無関係な人物たち、元外務大臣や異業種の経営者を招き入れた。その考え方は、海外勤務時代に伝説的なCEOであるジャック・ウェルチ率いるゼネラル・エレクトリックで目の当たりにした、激しく率直な議論に影響を受けていた。苅部はその摩擦を求めたのだ。

すでに決まった決定に判を押すのではなく、取締役が実際に戦略を議論する会議室を望んでいた。「バッドニュース・ファースト」の方針を導入し、挫折や問題を議題の最初に置くよう求めた。苅部の在任期間からの教訓は、俊敏性は偶然に生まれるものではないということだ。それは設計されなければならない。

年功ではなく能力に基づいて人を昇進させる年功序列のエスカレーターを壊さなければならない。「あなたは間違っている」と言ってくれる人を会議室に招き入れなければならない。苅部は、組織の調和を尊重しながらも、組織を生かし続けるために必要な摩擦を注入できることを証明した。そして、未来を実際に見通せるリーダーシップチームができたら、次の課題は、過去を破壊せずにどうやって未来を構築するかということになる。

二速経営の会社——両利きの組織

さて、これで未来を実際に見通せるリーダーシップチームができた。それは大きな突破口だ。しかし、そこから新たな、かなり恐ろしい問題が生じる。その未来が、今日の請求書を払っているビジネスを脅かすとき、何が起こるのか。これこそがレゾリュート時代の戦略的な綱渡りである。

伝統的に、企業はエクスプロイテーション(既存事業の深耕)の専門家になってきた。既存製品からあらゆる効率性を搾り取る。安全で、予測可能で、収益性が高い。しかし、市場が変化し、中核製品が一夜にして時代遅れになるまでは。問題はこうだ。すでに航行している安定した船を転覆させることなく、どうやってリスクの高い新天地を探検するのか。これこそ、島村琢哉が旭硝子(現AGC株式会社)を引き継いだときに直面したまさに同じジレンマだった。何十年もの間、同社は世界最高のガラスメーカーだった。

しかし2010年代までに、ガラスはコモディティ化していた。安価な競合企業が利益率を圧迫していた。伝統的な本能なら、倍賭けに出たはずだ。コストを削減し、ガラスをより安く、より速く作る。島村はその罠を見抜いていた。死にゆくビジネスモデルを完璧にすることは、単に死ぬスピードを遅くしているにすぎない。そこで彼は「両利き」の戦略を採用した。

伝統的なガラス事業からの安定したキャッシュフローを、未知の領域へのハイリスクな事業への資金として活用する。会社のアイデンティティを「ガラスメーカー」から「マテリアルサイエンス」の先駆者へと再定義した。それは微妙なマーケティング上の変化に聞こえるかもしれないが、実際には企業構造の根本的な再編だった。

ここからが面白いところだ。島村は、ガラスのエンジニアたちに無関係な製品を発明するよう単純に求めても、日々の生産ノルマのプレッシャーが革新を始まる前に押しつぶしてしまうことを知っていた。そこで、探索のための保護されたエコシステムを構築した。「MIT」と呼ばれる規律あるフレームワークを導入した。市場評価(Market assessment)、育成(Incubation)、移管(Transfer)の頭文字だ。化学の専門知識をエレクトロニクスやライフサイエンスに活かすといった新しいアイデアは、別部門で育成された。それらの苗木が十分に強くなってはじめて、主力事業に戻されたのだ。

島村は自ら工場を巡回し、従業員に「ガラス」という言葉をやめ、「ソリューション」と考えるよう促した。大胆な目標も設定した。新規戦略事業がグループ利益の40パーセントを生み出すことを要求したのだ。これにより、全員が既存事業の枠を超えて考えることを余儀なくされた。賭けは報われた。過去の安定性を未来の不確実性への資金として活用することで、AGCはモビリティやエレクトロニクスといった高利益率分野への事業拡大に成功した。ここからの教訓は何か。安定性と革新のどちらかを選ぶ必要はないのだ。

両方をやることができるし、やらなければならない。しかし、その微妙なバランスを維持するには、賢い戦略以上のものが必要だ。綱渡りのような取り組みが惨事に終わらないよう保証する、実効性のあるガバナンス構造が必要とされる。それこそが、次に見ていくテーマである。

実効性のあるガバナンス

両利きの経営は大胆な戦略だ。しかし、どんなに大胆なCEOであっても、現実的な検証が必要だ。企業が過去の安全性から未来の不確実性へと舵を切るとき、その戦略が暴走しないことを誰が保証するのか。日本では何十年もの間、その答えは事実上「誰もいない」だった。取締役会はしばしば形式的な行事で、時に「シャンシャン」という言葉で表現された。議論なしの合意を示す、リズミカルな拍手の音を指す言葉だ。取締役は典型的にはインサイダー、つまりCEOの友人であり、その仕事は挑戦することではなく頷くことだった。レゾリュートな企業が生き残るには、取締役会は丁寧な拍手の場であってはならない。建設的な摩擦の場にならなければならないのだ。実効性のあるガバナンスがどのようなものかを見るには、リクルートホールディングスを考えてみよう。2010年代初頭までに、リクルートはすでに人材業界の巨人だったが、CEOの峰岸真澄は、快適さが成長の敵であることを知っていた。友人の取締役会は望んでいなかった。「決定する取締役」と呼ぶ存在、つまり彼のビジョンを積極的にストレステストしてくれる人々で構成される取締役会を望んでいたのだ。峰岸は当時としては過激なことをした。異業種の重鎮を自分の側近に招き入れた。ソニーの元CFO。アサヒビールの会長。彼らはグローバルな戦いを経験したベテランであり、リクルートの社内政治に何の借りもなかった。

峰岸が海外買収のための巨額の資金、約70億ドルを提案したとき、これらの外部取締役は簡単には承認しなかった。戦略を精査し、会社に傲慢さを捨てさせたのだ。買収した海外企業に日本式の経営を押し付けるというリクルートの伝統的な慣行は、失敗へのレシピだった。取締役会は代わりに自律性の戦略を推した。買収した企業が自ら経営することを認めたのだ。その重要な決断が、リクルートをグローバルなテック企業へと変貌させる一因となった。この「レゾリュート」なガバナンスの真の試練は、取締役会が行う最も微妙な決断、つまり次期CEOの選定という場面で訪れた。

慣習的なモデルでは、退任するCEOが後継者を自ら指名する。通常は、順番を待ってきた忠実な側近だ。しかし2021年、リクルートの取締役会は歴代の上級管理職の列を見渡した末に、出木場久征に照準を定めた。出木場はシステムに衝撃を与えた。45歳——平均的なCEOが60歳で就任する日本の企業基準では、ほとんど子供のような年齢だった。しかし、出木場には年功では買えないものがあった。成果だ。彼はIndeedの買収を主導し、それをグローバルな成長エンジンに育て上げていた。

取締役会は、デジタル時代において、リーダーが「年齢的に適任になる」のを待つのは贅沢すぎると判断した。リクルートからの教訓は明確だ。ガバナンスは戦略にとって究極のセーフティネットである。ただ主宰するだけでなく積極的に決定する取締役会は、年功よりも能力を優先させることができる。リクルートは能力主義を頂点に据えることで、古いルールは死んだことを示した。そして、CEOが勤続年数ではなく実力で選ばれるのなら、その論理は会議室の扉で止まるはずがない。すべての従業員に届かなければならないのだ。

メンバーシップからマスタリーへ

リクルートの会議室が、頂点において能力が年功に勝てることを証明したのなら、この変革の最後のフロンティアは、その下に広がるオープンプランのオフィスにある。ここで、伝統的な日本の職場で最も文化的に根付いた柱、終身雇用にたどり着く。何世代にもわたり、日本の大企業に入社することは家族に加わることだった。スキルではなくポテンシャルで採用され、一度入れば生涯にわたる「メンバー」だった。このシステムは信じられないほどの忠誠心を生み出したが、同時に「窓際族」という奇妙な現象も生んだ。生産性を失ったものの、システムに守られて、定年まで日々をやり過ごすために窓際の机を与えられた社員たちだ。グローバルに競争する企業にとって、乗客を抱えることはもはや許されない贅沢である。

この現実は、日本を代表する産業界の巨人の一つ、日立製作所に重くのしかかった。世界中に30万人以上の従業員を抱える日立は、伝統的な巨大企業の典型だった。しかし、グローバル展開を進めるにつれ、大きな摩擦点に直面した。海外事業では採用はトランザクショナルでスキルベースだった。特定の仕事のために特定のエンジニアを雇う。一方、日本国内では、採用は依然として総合職的なメンバーシップ型だった。東京の「マネージャー」はロンドンの「マネージャー」とはまったく別の存在だった。この広大な帝国を統一するプレッシャーのなかで、日立は伝統からの決定的な脱却を図った。メンバーシップモデルを解体し、「ジョブ型」システムへと舵を切ったのだ。西洋の耳には標準的な企業手続きに聞こえるかもしれない。しかし、日本の労働史の文脈では、これは革命だった。

初めて同社は、特定の仕事——特定の職務記述、特定の目標、特定の価格タグ付き——を定義し、年齢や勤続年数に関係なく、その仕事を埋める最適な人物を探すようになった。この変化は、従業員と企業の間の心理的契約を根本的に変える。旧システムでは、給与は主に何年耐えてきたかの関数だった。忠誠への報酬だったのだ。日立の新モデルでは、報酬は役割の重みと成果に結びついている。日立はグローバルなグレーディングシステムを構築し、何千ものポジションをマッピングして、日本での役割が米国の役割と同等であることを保証しなければならなかった。窓際族が隠れることを可能にしていた曖昧さがはぎ取られた。今や、すべての座席に目的があり、すべての着席者は自分の存在を正当化しなければならない。

メンバーシップからマスタリーへの移行は、おそらくこの物語の中で最も痛みを伴う部分だ。何十年にもわたって日本の中流階級を定義してきたセーフティネットを取り除くからだ。しかし、日立のような企業が気づいたように、存在意義を保ち続けるにはこの変化が不可欠なのだ。各人が何を貢献すべきかを明確にすることで、会社は従業員に、年功序列のエスカレーターに受動的に乗るのではなく、自らのキャリアを主体的に築く力を与えるのである。

まとめ

本書『レゾリュート・ジャパン』(池上重輔、ハルビール・シン、マイケル・ユーセム著)では、日本の企業再生が、過去の社会的責任と未来に必要な決断力ある俊敏性を融合させたハイブリッドモデルによって推進されていることを学んだ。この変革は、リーダーが硬直したマニュアルへの依存をやめ、危機が襲うときに見られるように、現場の直感を信頼し始めたときに始まる。経営陣が内部のサイロを打破し、外部の視点を招き入れて現状に挑戦し、戦略的な両利き経営を推し進めるときに勢いを増す。既存の強みの深耕と新たなリスクの探索のバランスを取ることで、企業は自らのアイデンティティを捨てることなく、自らの進化に資金を投じることができる。

この物語は、年功序列を能力主義に置き換えることで締めくくられる。ガバナンスが戦略を積極的に導き、すべての従業員が勤続年数ではなく具体的な貢献によって評価されることを保証するのである。

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