世界の明暗を分けたのは偶然の地理だった——人類1万3000年の歴史が示す意外な答え

『銃・病原菌・鉄』(1997年)は、過去1万3000年にわたる人類の歴史をコンパクトに描いた一冊である。本書が投げかける問いは、口にするのは簡単だが答えるのは極めて難しい。すなわち、「なぜ世界のある地域は高度な文明を発展させ、別の地域はそうならなかったのか」という問いだ。本書は、民族ごとの知能の優劣を前提とした説明を明確に退ける。そして、人類社会の分岐は、気候・生物・地質といった自然的要因によってこそ最もよく説明できると論じる。

本書の読みどころ:人類の分岐の歴史を概観する

歴史家が扱う時間のスケールはさまざまだ。一つの戦いに生涯を捧げる者もいれば、数十年単位の時代を扱う者もいる。経済システムや世界宗教の歴史のように、数百年・数千年にわたるテーマを追う者もいる。

生物学者であり地理学者であり歴史家でもあるジャレド・ダイアモンドの視野は、さらに圧倒的に広い。彼の考えでは、「歴史の最も広範なパターン」を見極めるには、視点をとことんまで引く必要がある。人類の全貌を語るには、およそ1万3000年前まで遡らねばならないというのだ。その物語を貫く大きなテーマは「分岐」である。紀元前1万1000年、ある社会と別の社会は互いによく似ていた。現在のペルー、ポーランド、パプアニューギニアにあたる土地の人々は、違いよりも共通点の方が多かった。いずれも文字を持たず、石器を使う狩猟採集民だったのだ。

1492年、コロンブスが最初の航海に出た年に話を早送りすると、今度は「違い」の方が際立つ。オーストラリア、サハラ以南のアフリカ、そしてアメリカ大陸の大部分では、狩猟採集が依然として当たり前の生活様式だった。一方で、ポルトガルから日本に至るユーラシア大陸には、国家組織、文字、鉄器、銃器、常備軍を備えた文明がすでに存在していた。こうした発展を足がかりに、ユーラシアの、とりわけヨーロッパの国家は世界の他地域を征服していく。なぜ歴史はこのように展開したのか。なぜ人類社会はこれほど劇的に分岐したのか。

なぜユーラシア人はオーストラリア人、アメリカ人、アフリカ人を征服したのか。その逆ではなかったのはなぜか。ダイアモンドが『銃・病原菌・鉄』で答えようとしたのが、この問いである。彼の議論のすべてをここで扱うことはできない。この短い要約では、彼が人類の分岐の根本原因として特定したもの、すなわち「農業」に焦点を当てよう。

ユーラシア大陸の特殊な地理が、歴史的な先行を生んだ

複雑な人間社会の成立には、余剰食料が欠かせない。文明とはつまるところ、カロリーの問題である。土地を耕さない人々を養えるだけの食料を生産できたときに、文明は生まれる。言い換えれば、すべては穀物で満たされた倉庫から始まる。都市という定住地を養うには、これ以外に道はない。ちなみに都市はラテン語で「キウィタス(civitas)」と呼ばれ、この言葉は語源的に「文明(civilization)」と深く結びついている。

都市に多くの人々を密集させることは疫病の温床となりやすいが、それは(進化論的に見れば)むしろ好都合だ。集団が病原菌にさらされることで、天然痘のような病気への免疫が発達するからである。また、都市はイノベーションの揺籃でもある。まず、職人や工夫を凝らす人々、そして彼らの仕事を後援する富裕なパトロンが都市には集まる。さらに政治的な要因も見逃せない。都市同士は互いに競争し、地政学的なライバルとの軍拡競争ほど技術発展を強く促すものはほとんどないからだ。

これらすべてを合算すると、技術的に進歩し、病気への耐性を持ち、完全武装した社会が出来上がる。それは致命的な組み合わせであり、アメリカ大陸を植民地化したスペインのコンキスタドールをまさに言い表している。銃と鉄は戦場で彼らに優位をもたらし、彼らが持ち込んだ疫病は、戦場の外で先住民社会に壊滅的な打撃を与えた。しかし、なぜスペイン人のようなヨーロッパ人は銃・病原菌・鉄を持っていたのに、たとえばペルーのインカ帝国は持っていなかったのか。この問いに答えるには、農業の起源に目を向ける必要がある。人類の農業の中心地は「肥沃な三日月地帯」だ。トルコ東部からレバント地方へと弧を描き、さらにユーフラテス川を下ってイラクへと至る、谷と氾濫原が連なる一帯である。

およそ1万2000年前、この地域の採集民は、大きく栄養価の高い穂をつける野生の草——小麦や大麦の祖先——を意図的に植え始めた。彼らは知らず知らずのうちに、人類最初の作物を蒔いていたのである。その後、レンズ豆、オリーブ、イチジク、アーモンド、ヒヨコ豆が続いた。動物の家畜化も始まった。野生の牛、羊、豚、山羊は、いずれもこの肥沃な三日月地帯で家畜化された。紀元前7500年以降、最初の都市が出現し始めると、その住民はこれらの食料に依存して生きることになる。

農業革新の中心地はほかにもあり、料理や文化の基盤もまた他に存在した。たとえば中国には米と大豆があり、メキシコにはトウモロコシ、豆、トマト、カボチャがあった。しかし、世界のすべての地域がこうした豊かさに恵まれたわけではない。サハラ以南のアフリカには雑穀、モロコシ、ヤムイモ、落花生があったが、これらの植物が同じ場所で育つわけではなかった。アフリカの大型哺乳類も、家畜化に対して強い抵抗を示した。だが、本当の問題はさらに根深い。作物の「拡散」を阻む地理的障壁である。

具体的に見ていこう。ユーラシア大陸は東西の軸に沿って広がっている。肥沃な地域のほとんどがほぼ同じ緯度上に位置しており、季節の差が小さく、日の長さも似通っている。このため、ある地域でよく育つ作物は、他の地域でも概してうまく育つ。たとえばソバは、ブルターニュの海岸でも、北イタリアのアルプス山麓でも、ウクライナの平原でも、日本の島々でも同じように元気に育つのだ。この地理的特性こそ、ユーラシアの諸社会が作物を互いにすばやく交換し、食料供給を拡大し、大規模で複雑な文明の成長を加速させることができた理由である。

対照的に、アメリカ大陸とアフリカは南北の軸に沿って広がり、大きく異なる緯度をまたいでいる。たとえばメキシコとペルーの肥沃な地域の間で作物を交換するのは難しい。これらの地域では日の長さや季節のパターンが大きく異なるからだ。南北軸に沿った農業技術の伝播は、東西軸に沿った場合よりもはるかに時間がかかる。メキシコでよく育つ植物——トウモロコシは歴史的な好例だ——がアンデスの農民にとって役立つものになるまでには、膨大な時間をかけた遺伝的適応が必要だった。社会がより複雑なものへと発展していく速度は、農業生産力によって大きく左右されたのである。紀元前8000年頃にユーラシアで農業が始まったことで、一連の画期的な発展がもたらされたが、他の社会にはそれを支えるだけの余剰食料がなかった。

金属製の道具、中央集権的な国家、文字は、紀元前2500年までに肥沃な三日月地帯ですでに確固として存在していた。アフリカとアメリカ大陸で同様の発展が訪れるのは、はるかに後のことである。つまりユーラシアは他の地域より数千年も先んじて出発しており、その優位は何世紀にもわたって複利のように拡大していった。農業革命がアフリカやアメリカ大陸の社会をようやく変革し始めた頃、ユーラシアの国家はすでに大陸を周航できる船を開発していた。言うまでもなく、マスケット銃や大砲もである。そして、これこそがユーラシア人がオーストラリア人、アメリカ人、アフリカ人を征服できた究極の理由なのだ。

まとめ

食料余剰は、政治的に中央集権化され、経済的に複雑で、技術的に革新的な社会が発展するための必須条件である。ユーラシア大陸の地理は、そうした余剰を生み出す農耕技術の急速な普及を妨げるのではなく、むしろ後押しするという点で、世界の大陸の中でも極めて特殊な存在なのだ。

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